The Doggy Side Slide http://bit.ly/10O981
How to open a bottle of wine http://bit.ly/3OMiE9
食欲の秋を満喫してる今日この頃。今夜は友人宅でトムヤムクンでした。この時季にタンクトップ姿で汗だく。
RT @hiroko_nakamura 今すぐひと笑い必要な人必見!!!吹く。RT @petapixel : Super weird - Dogs striking yoga poses: http://j.mp/3G0IYw
論理的な文章を書こうとしてるうちにどうでもよくなってきた。さ、飲も。
いくらやっても、いくらがんばっても、一見前に進んでいないんじゃないのか?と
不安に思っても、遠くから見れば緩やかな傾斜を描き、
しっかりと前に進んでいるものだ。
思い通りに行かない事も、最悪な時も、全部引き受けて、それでも一歩一歩
前に進んでいく。
これでもか、と自分を追いやる毎日は決して易しくはないけれど、
逃げずに、自分に負けず、踏ん張っていけば、必ず道は開けると思っている。
そして、そうやって進んだ自分の足跡は決して消える事はない。
それが誇りというものだと思うし、それを誇りと呼ぶべきものだと思う。
随分と慣れてきたとは言え、やはり人間対人間。
特に一度も会った事がない人達との十数回に及ぶ、メールのやり取りは、
相変わらず独特な感覚が残る。
素敵な人、親切な人、丁寧な人、終始ビジネスとしての関係を崩さない人、
情熱的な人、いい加減な人、自分勝手な人。当たり前にたくさんの種類の人間がいる。
僕が思うに、これは国籍や文化の違いではない。単にキャラクターによるものだ。
面白いのは、実際に彼等と旅先で会った時に、容姿は違えど、その印象は
さほど大きく変わらない事だ。殆どが、メールから受けた印象そのまま、という
パターンが多い。
そしてまた、旅が終わった後も、仕事抜きで、友情関係が生まれるという人も、
実は、会う以前から、メールを通じて互いに予期しているような気もする。
今ではすっかり慣れてきたが、あらためて考えると不思議なものだ。
たかがメール、されどメール。その人の人柄や、気持ちが無意識に滲み出ている。
人間の本質とは、「論理の機械」ではなく、「利害と感情の機械」だと思う。もしすべての人間が、一切の損得を気にかけなくなり、一切の感情をなくしたら、人間のあらゆる行動の理由がなくなる。仕事をする理由も、恋愛をする理由も、人を殺してはいけない理由も、生きる理由すらなくなる。人間世界とは、複雑に絡み合った利害と感情の網の目で形作られたものなのじゃないかと思う。
そこにそのビルが存在し、そういう形になっているのは、それによって得する人間と損する人間とむかつく人間と喜ぶ人間がいるからだ。
あまり高いビルを建てると、景色が悪くなって気分が悪いという人、できるだけ高いビルを建てた方が、儲かるという人、この場所に住みたいという欲求を持つ家族たち、ここに人が引っ越してくれると、客が増えると考えるスーパー、都市計画上、ここにビルがあると都合の良いお役所の人たち。
そういう複雑な利害と感情が織り込まれた結果、それがそうして存在する。都市において人間が目にするほとんどすべての景色は、そうやって形成されたものだ。決して、そこにビルを建てるのが、「論理的に正しい」からではないのだ。人間は、青ざめた正しい論理でできているのではなく、赤く燃え立つダイナミックな喜怒哀楽と損得でできている。
複数の人がエレベーターに乗っているときは、誰もがじっと立ちつくし、天井か、床か、ボタンのパネルを、まるで初めて見るもののようにじっと見つめている。赤の他人が2人だけでエレベーターに乗り合わせたときは、互いにできるだけ離れた位置に立ち、直接顔を見合わせたり視線を交わしたりしないように、また、突然動いたり音を出したりすることのないようにしている。
エレベーターに乗り合わせた大半の人たちが見せるこれらの行動は、合理的な思考の結果ではない。状況に対して自動的かつ本能的に対応しているものだ。


